「……修先輩……?」
きょとんとした顔で相手は俺の顔を見た。
俺の本名を知っていて、修と呼ぶのは高校以前からの友人または知り合いだけだ。
そして、その中で先輩付けで俺のことを呼ぶ人物は一人だけ。
「佐藤!? なんで、お前こんなところに!?」
佐藤。女顔で動物好きの、近年稀に見る穏やかな雰囲気と性格の持ち主。
知り合ったのはかなり幼い時だったが、親しくなったのは中学の時だ。
とはいっても学年は四つも離れていたため、休日に遊びに付き合わせたぐらいだった。
それでも、一緒にいる時の佐藤はいつも楽しそうに笑っていた。
そう、笑顔。
こいつの笑顔を忘れたことはなかった。
男なのにどこまでも純粋で、美人とはまた違った綺麗な笑顔。
そしてその笑顔は今も変わりないようで。
佐藤は俺だと分かると、安心したのかその笑顔を見せた。
「この子が寒がってたんで、放っておけなくて……抱きしめて暖めてあげてたら――」
「寝ちまったと?」
「……はい」
「にー」
よく見れば佐藤の腕の中に納まっている猫はさっきからずっと頬擦りをしている。相当懐いているんだろう。
佐藤は動物好きだが、また動物に好かれるタイプでもあった。
本当に、相変わらずだ。
昔の佐藤のまま。
「ごめんね、ししゃも。今日はもう帰らなきゃいけないんだ」
「にー……」
二人(一人と一匹だが)は名残惜しそうだった。
佐藤は猫を棲み処であろうゴミ箱に戻す。そしてなだめるように頭を撫でた。
どうしても捨てられた動物は放ってはおけず、けれども飼ってやることができないためにその場に残してきてしまう。
そんなありきたりな場面に出くわす佐藤を俺は何回も見ている。
本当に放っておけないのはどっちなんだか。
「お前、どうするんだよ。この時間だとバス来ないぞ?」
「歩いて帰りますよ」
「……何分ぐらいかかるんだ?」
「大体、一時間ぐらいですね……。でも、たまにこういうことあるんで大丈夫です」
いや、なんか大丈夫じゃないどころかすっげー心配なんだが。
「……送ってく」
「えっ!?」
自分でもそう言ってしまったことに内心驚いた。
他人から見たらどう思われるだろうか。
「い、いいですよ、そんな…修先輩だって仕事帰りじゃ……」
「心配なんだよ。お前、無防備すぎるから」
そう言うと、佐藤は俺が何を言いたいか理解したらしく、すまなそうに一礼した。
「そういえば五年ぶりだよな」
「もうそんなに経ちますか?」
「ああ」
他愛もない話。久々に再会した友人とするような内容。
なのにどこか落ち着けるのは、どこか気分が明るくなるのは何故だろうか。
「その様子だと大学出て今年から新社会人ってところか」
「はい、四月にこっちに来たばかりで。修先輩は……」
「ああ、教員やってる」
「あっ。もしかしてDTOって名乗ってるんですか? 前から言ってましたから」
「生徒の前ではそう呼べよ。名前は教えてないから」
佐藤はクスクス笑っていた。
こうも佐藤の笑顔を見ると安心感を覚える。
ああ、変わってないなと、俺も自然と笑みが零れる。
「そういえば修先輩」
「ん?」
「ギターはまだやってるんですか?」
つい、足を止めてしまった。
その様子に佐藤は疑問の表情を浮かべていた。俺はやや俯いて答える。
「今は……やってない」
「あ……すみません。変なこと訊いちゃって……」
「いや、いいんだ」
視線を元に戻すと、佐藤が少し寂しそうな顔をしていた。
「でも……ちょっと残念です。僕、先輩の歌、好きだったんですよ」
一瞬、聞き間違えかと思った。
けれども聞き間違えじゃないと理解すると、驚きで茫然としてしまった。
佐藤にそんなこと言われるのは初めてだったから。
「お前、もっと大人しい曲が好みだと思った」
「う〜ん。なんて言いますか……先輩のだけ特別だったんです」
「特別?」
そう聞いて、俺の心臓が反射的に跳ねたように感じた。
何を期待しているのだろうか。自分が望んでいる想いなど、佐藤が持っているはずないじゃないか。
「はい。聞いてると、なんだか元気付けてくれてるような気がして。そういう感じの歌じゃないのは分かってるんですけど」
「……」
なんとか顔には出さなかったが、相当驚いた。
佐藤に歌を聞かせてやったことがあるのは、俺が高校の時と大学の時。
歌っている時は夢中になって歌っていた自分だが、佐藤が聞いている時は別だった。
いわゆる、お前のこと考えて歌っている、というやつで。
だから佐藤には元気付けているように聞こえたのだろうか。
「あ、僕ここなんで」
「そうか」
まだ新しさが残るアパートの前で止まった。確かに、佐藤ならここに住んでそうだと思った。
「今日は本当にすみません……。でも、修先輩と話ができてよかったです」
また笑顔。
それを見て、自分の気持ちが昔となんら変わりないことに気づいた。
「佐藤」
「はい?」
思わず、言葉が口から飛び出しそうになる。
「……お前が良ければ、また歌ってやるよ」
けれどもその言葉をすぐに飲み込んでしまった。
今、ここで、言うべき言葉ではない。
言ってしまえば、この関係はいとも容易く崩れてしまうだろうから。
「本当ですか!? 楽しみにしてます! それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
佐藤がアパートへ消えていくのを見送ると、そのまま俺は帰路へと向かった。
止まっていたものを動かすために。
家に付いた途端、普段は開けないクローゼットのドアを開けた。
中にあるのは服ではなく、埃を被ったギターケース。
イギリスから帰国してこの部屋に住むようになってから、避けるように追いやっていた。
理由は、もう夢を見るのは止そうと思ったから。
留学してそこで学んで過ごした中で自分の才能の限界みたいなものを感じて。
帰国後は持っていた教員免許で、教師になって。
それでいいのかと、また逃げ出していいのかと、自分を問い詰めることはなかった。諦めてしまったから。
けれでもこうやってギターを残していたことは、少なくとも未練が残っている証拠でもある。
ケースの埃を払い、蓋を開けた。
中には、少し傷が目立つ昔の相棒と、書きかけのスコア。
コイツもあの時から時間が止まったまま、何も変わっていない。
佐藤の笑顔が変わっていないのとは全然違って。
久しく触ってなかった相棒を目にして、何か弾きたいと体が疼いた。
自然と苦笑いが浮かぶ。
今まで見るのも嫌になっていたのに。今日、たった一人――佐藤と再会しただけでここまで心変わりするものなのか。
それだけ、あいつは俺に影響を与えていた人物なんだと、今更ながら気づく。
諦めていたのに音楽に未練を残していられたのも、あいつの顔を覚えていたせいなのかもしれない。
ネジで調節し直して弦を弾くと、懐かしい音がした。
「……なんだかな」
また、始めてもいいのかもしれない。
また歌ってもいいと約束したし。
昔目指したものにはなれないだろうけれど。
止まっていたものを動かすためにも。
これ以上は後悔しないためにも。
そして、いつかは俺が遠まわしでも佐藤のことが好きだと言えるようになるためにも。
「その前に仕事もやらないとな」
最近、同じく誰かを好きということで勉強がおろそかになっているバカ生徒のために、仕事の方に頭を切り替えた。
今度、上の空になってたら、一括入れてやろうか。
昔、逃げてしまった自分と別れるためにも。
今までつかかっていたものが取れたからか、妙にすっきりした気分だ。
同じような毎日。
くだらない毎日。
それがたった一人のせいで少しずつ変化し始める。
あとがき
後半がなんだかな、と(何
先生も大変なんだよ。きっと(ぉぃ
ウチのDTOは大学出た後、2年ほどイギリス留学(ってか放浪?)してたり。
ちなみにこの話はある意味リュサトとの分岐点にもなうr話なのですよ(ぇ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2004/12/20
2005/09/14 加筆・修正