雨詩 -amauta-
夢をみた。
小さい頃の雨の日。
青い傘に黄色い雨合羽と長靴。
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
いつも迎えに来るのは母さんではなく、ばあちゃん。
それでも、その歌を口ずさんで一緒に歩いた。
ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん
少し前へ進んでしまったので振り返ってみれば
どんな雨の中でもやさしく見える笑顔。
もう、見ることはできないもの。
そんな、昔の自分の夢を見た。
どうしてだか分からないけど
酷く、想い人と重なった。
リュータが佐藤と出会って一月あまり。季節は梅雨に入っていた。
天気予報でも言う通り、うっとうしいものがあるけれど
「おはよう。リュータ君」
「あ、佐藤さん。おはようございます」
「ずっと雨で自転車に乗れないからししゃもが少し拗ねてるんだよね」
「あはは」
こうやって佐藤と一緒にいられる時間が増えるのはリュータにとってはとても嬉しいことであった。
ししゃもには少し悪い気もするが。
「リュータ君、もしかしてもうすぐテスト?」
「うっ……もう一週間きってます……」
時間が限られている他愛もない会話。けれどもそれがすごく楽しい。
雨に感謝感謝、とリュータは心の中で呟く。
「リュータ君の苦手教科は?」
「英語、ですね。っていうかあの先生の授業、俺にはわけ分かんないんッスよ。小テストも多いし」
「でもそういう風にやってる先生のテスト問題って平均点高いんじゃない?」
「確かにそうですけど……バイト命の俺には小テストだってやってらんないですよ」
こんな会話でもクスクスと笑う佐藤にリュータは尚のこと惹かれる。
最悪なテストもその笑顔だけで吹っ飛ばせる、なんて本人の前では言えたものじゃない。
「そういえばリュータ君。今週はバイトない日ある?」
「えっ……今日と明日はないですけど」
「それなら今日ウチに来ない? 少しなら教えて上げられると思うよ」
リュータは目を丸くした。恐らく後半部分は聞こえてなかっただろうが。
「いいんですか!? だって佐藤さんも仕事が……」
「大丈夫だよ。昨日、大きい仕事終わったから今週は早めに帰れるし」
バスの走ってくる音が聞こえる。だがリュータにはそんな音よりも心臓の音の方がうるさく感じた。
「で、どう?」
「行きます行きます! 是非!」
大げさに返事をするリュータに対して佐藤は少し噴き出して笑った。
そんなに笑わなくても、とリュータは赤面する。
今日のリュータは朝から浮かれ気分だった。
跳ねたくなる気分を抑えつつ過ごす授業も、あと一時間。
けれども待っていたのはリュータ最悪の敵、英語である。
「昨日の小テスト返すぞー」
テスト前最後の小テストということで昨日実施されたのだが、勿論リュータは白紙に近い状態で出した。
これでテストでも赤点なんぞ取ったら、補習は確実である。
そんなこんなで頭を抱えていると自分の名前が呼ばれた。
「リュータ。ぶっちぎり最下位おめでとう」
「そんなこと言われても嬉しくないです」
「毎回言ってるが、バイトもいいけど本当に勉強しろよな。栄木なんかここ最近高得点だぞ」
「何!? サイバー、俺を置いてく気か!?」
「どんな小さなことでも全力で挑むのがオレ様のやり方! 置いてかれるのはリュータが悪いんだよ」
「でも小テストだけ全力じゃ意味ねぇぞ、栄木」
どっと笑いで溢れる教室。
英語、つまりはDTOの授業の時だけこんな雰囲気でそれが楽しい。現にそれでDTOは生徒から人気だ。
それが英語じゃなくて国語や歴史だったらどんなにリュータに良かっただろうか。
そんなことを考えているうちに小テストの返却は終わっていて、授業に入っていた。
(今日は真面目に受けよう。佐藤さんに見てもらうのに一つも分かんないんじゃ笑いもんだし)
「――……がstandingにかかる。だから――」
DTOの言葉に耳を傾けるものも、段々と途切れて聞こえてくる。
「全部繋げると『その時――立っている男性が――」
最後には声は聞こえなくなり、眠りの底へと落ちてしまう。
結局のところ決意も空しく、授業が終わる十分前に指示棒で頭を小突かれるまで眠ってしまった。
そんな英語の授業が終わってから数時間後。
佐藤の家に上がれたという浮かれ気分は、佐藤先生によるリュータ君のための今日の英語の復習によって微妙な感じになっていた。
「in front of……? 佐藤さん、これ解らないんッスけど……」
「まずは自分で調べなきゃ」
「うぅ……」
いつもの笑顔は変わりないの。が、ヘタをすると個人授業という条件から普段の授業より厳しい。
佐藤の教え方が悪いわけでない。むしろ丁寧でゆっくりで、リュータが理解するまで待ってくれている。ようはリュータの英語に対する集中力がないだけなのである。
けれどもDTOの授業より解りやすいじゃんとリュータは感じていた。
「『その時男性の前にいる少年が言った』?」
「それはそうじゃなくて、in front ofがstandingにかかるんだよ。だからこの二つで『〜の前に立っている』になって――」
どこかで聞いたことあるようなセリフ。
真面目に聞きつつもリュータはそう感じた。
「で、全部繋げると『その時その少年の前に立っている男の人が言った』って訳になるんだよ」
そこまで聞き終えてはっと思い出した。
「先生も同じようなこと言ってた」
「あ、そうなんだ? きっと似てるのかもね、教え方」
「えー、全然似てませんって。佐藤さんの方が何倍も解りやすいですよ!」
「そう? 僕もこんな風に先輩に教わってたんだよね」
とは言え、褒められたからか佐藤は少し照れくさそうだった。
思わずリュータは癒されているのを実感する。そして、自分がどれだけ佐藤に惚れているのかも。
「今ね、その先輩、高校で英語の教師やってるんだって」
「佐藤さんと同じように教えてくれるなら俺もその先生に習いたいッスよ」
本当は佐藤さんが先生なら、とか言ってみたかったのだが。
ふとリュータは一つの疑問が浮かんだ。
「佐藤さんって中学や高校ってどんなだった?」
「えっ」
思いもしない質問をぶつけられて佐藤は目をぱちくりさせた。
今思えば一ヶ月も経つのに、リュータはあまり佐藤のことを知らない。
いつも会話を交わすととリュータが一方的に学校やバイトのことや世間話、気が乗ると中学校の時の話をする。
対して佐藤から話題をふるとしたらししゃものことか会社のことぐらい。
「やっぱり頭良かった?」
「う〜ん……どうだろう。学年順位とか気にしてなかったから。でも、英語以外は毎回七十点以上いってたような」
「結構頭いいじゃないですか! 俺なんか七十点取れるの国語ぐらいッスよ〜……って英語以外?」
リュータが首を傾げると、「そうだよ」と返事が返ってきた。
「中学の時はね、英語、嫌いだった」
「えぇ!? 今の佐藤さんからだと信じられないんッスけど!」
教えてもらっていて佐藤さんは先生の素質あるな、とか思っていたリュータとしては驚愕な事実だ。
「さっきも言った先輩が教えてくれてから、嫌いじゃなくなったんだよ」
「へー……」
「その先輩、歌うのとか洋楽とか聞くの好きで、それで英語好きになったんだって。よく歌ってるの聞きに行ったっけ」
にこにこと嬉しそうに話す佐藤を見て、リュータは内心むっとなった。
自分より年上でなおかつ出会って日が浅いのだから、自分とは別の人との楽しい思い出もあるだろう。けれどリュータとしては、やはり他の人のことで嬉しそうにする佐藤を見ると少しだけムカッとくるわけで。
「佐藤さんはその先輩のこと好きだったんですか?」
そういう言ってから、これは嫉妬だとリュータは気付く。
けれど予想と反して佐藤はクスクスと笑った。
「好きと言えば好きだけど、男の先輩だよ? なんていうか……先輩っていうより年が離れた幼馴染って感じだったから」
その言葉を聞いてリュータはほっと胸をなでおろした。
これでそれが女の先輩で今でも好きなんだ、とか言われてしまったらどうしようかとハラハラしていたから。
「じゃあさ、佐藤さんってモテた?」
「え!?」
また唐突に訊いたものだから佐藤は目を丸くした。その様子に可愛いとかリュータが思ったのは言うまでもなく。
「佐藤さん、結構顔立ちいいしさ」
女性みたいと言う意味でもあったのだが、そんな含みは全く気づかずに佐藤は顔をほんの少し赤らめた。
「じ、実家が少し田舎の方だったから、中学の時は男子校で……! で、でも高校の時は共学だったよ。モテてはいなかった、と思う」
中学が男子校、と聞いてリュータは驚いた。リュータの中で佐藤は全部共学の私立とか行ってそうなイメージだったからだ。
「思うってどういうこと?」
「バレンタインの時、義理チョコ、袋いっぱいにもらってたから……」
そりゃあ確かに微妙だ、とリュータは相槌を打った。
「それじゃあさ、家族とか家の雰囲気ってどんな感じ?」
不意にビクッと佐藤の体が震えた。
その様子にリュータの頭に疑問符が浮かぶ。よく見ると佐藤の表情は暗くなっていて、どこかぎこちなかった。
「あ、そういえばここはどうすんでしたっけ?」
「え、あ……ここはね」
わざと英語の教科書を指したのはきっと佐藤も気付いたはずだ。
けれど、言いたくないことを言わせることよりかマシだった。
(何があったか知らないけど、佐藤さんには家族のことはタブーなんだな……)
一緒に教科書を見る佐藤を横目にリュータは心の中で呟いた。
そうしてまた明るい雰囲気に戻り、終わったのは九時頃。
「本当に明日もいいんですか?」
「全然平気だよ。むしろ、なんか部屋の中が明るくなって楽しいしね」
先程の暗い影はなかった。ほっとリュータは胸をなでおろした。
「じゃあ、明日も今日と同じぐらいに来ます」
「分かった。帰り、気をつけてね」
「また明日! ししゃももまた明日な」
「にー」
そうやってドアから少し出て見送ってくれる佐藤を背にリュータは帰り道を急いだ。
佐藤がまた笑顔を曇らせたことには気づかずに。
あとがき
微妙な終わり方だな、おい。
いや、ちょっと長すぎたんで一旦区切りを付けただけです…はい。
英語うんぬんは高校の教科書参考にしてますたい(ぉぃ
2005/05/16 幸 ゆきな