彼の一日は彼が住む洞窟に生える無数の水晶の中の一つの光が増すことで始まる。
 その光に急かされるように彼は目を覚まし、その水晶を手に取る。
「おはよう」
 水晶の中にいるのは一匹の蝶。水晶の光の元はこの蝶だ。
 彼は釣竿のようになっている長い何かの枝についた糸に水晶をくくりつけると立ち上がって歩き出した。
 これは彼――カジカにとっては使命にも似た仕事だ。


 カジカは軽快なリズムの歌を口ずさみながら他の水晶によって洸に明るい洞窟の中を歩く。
 彼にとってこの歌と水晶とどこまでも続く洞窟が全て。
 水晶の光で起こされ、その水晶を連れて洞窟内を歩き、水晶の中の蝶がふ化して彼のもとから離れると眠りにつく。
 毎日それの繰り返しだが、退屈だと思ったことはない。
 水晶に宿る蝶は、動物に個々の意思があるように毎日違った反応を示すから。
 話しかければ光を強くして反応するもの、歩くリズムに合わせて自分から動こうとするもの、カジカに語りかけてくるもの。
 一日の始まりと共に水晶に宿る蝶達。いつから彼らを見守ってきたのかはカジカには分からない。
 けれど、それはさほど問題はない。カジカは蝶達が好きだから。
 それが唯一自分の世界だからというわけではなく、彼らを連れてふ化するまで蝶を見守ることが楽しいから。
「今日はどこへ行こう?」
 そう彼が呟くと、水晶が反応した。
 その音には出ない水晶の言葉にカジカは目を丸くした。



 歩いていく先に光が見えた。
 洞窟に生える水晶の青白いひんやりとした光ではなく、温かみが感じられる明るい光だ。
 カジカは今、“外”を目指していた。
 水晶は外を見たいと言った。
 彼は少々悩んだ末、行ってみることにした。
 どんな洞窟も外に出られる場所があるように、この変わった洞窟にもその場所はある。
 カジカはこの洞窟のことは色々と知っているため、そこまで迷わずに行ける。
 だがカジカは普段、何故か外に出ることはしない。
 “外”の光が段々と大きくなっていき、外に出るまであと数メートル。
「っ!」
 カジカは激痛にでも苛まれたかのように顔を歪ませた。
 よろけるように数歩下がり、自分の手に目を向ける。
 彼の手はまるで火傷をしたかのように赤くなっていた。いや、実際に火傷を負っていた。



「ごめんね。外を見せて上げられなくて」
 洞窟内にある沸き水で手を冷やしながら、カジカは水晶を見た。
 水晶はチカチカと光る。それを見てカジカは微笑んだ。
 カジカはその見た目こそ人間であるが外に出ることができない。出ようとすると、先ほどのように火傷を負ってしまう。
 無理に出ようものならば火傷どころか体が燃えてしまうだろう。つまりそれは、死を意味する。
 “外”に出れるとしても、夜のしかも月がはっきりと出ている短い時間だけ。
 カジカを洞窟に縛り付けている理由の一つはそれだった。
 水から手を出すと手の甲がまだ赤みを帯びているものも、そこまで酷くはないようだ。
 手ごろな岩に腰掛け、カジカは水晶に話しかけた。
「ボクもね、見てみたいんだ。外の世界」
 そうしてまた歌を口ずさむ。
 彼を励まそうとしているのか、水晶はリズムに合わせて光る。
 その日の半分はそうやって過ごした。
 普段は明るく洞窟内に響くその歌は、どこか哀愁を帯びていた。




「どうしたんだろう?」
 翌日、カジカは心配そうに首を傾げた。
 昨日の水晶は何故かふ化しなかったのだ。
 稀にこういうことが起こるのだが、それは蝶が何らかの理由でふ化することを拒否している場合に起こる。
 しかし、今回はそれとは違い、いつもの蝶達と様子が違うように思えた。
「君は、どうしたいの?」
 そう訊ねれば、蝶はフワリと一回だけその水晶の蛹をカジカの方に振る。
「すぐ分かる? 一体何が――」
「いたいた」
 突然、カジカ以外の誰かの声がした。
 本当に極稀に旅人などが洞窟に迷い込むことがある。
 前は変わった少年だった気がする。けれど記憶は朧気で、それほど年月が経っているのを実感する。
 声がした方に振り返ると、帽子を被り髪の後ろ側が跳ねていて、不思議なことに影が自ら動いている、少し変わった少年がいた。
 カジカはすぐさまその少年の名を思い出した。
「MZD…」
「おっ。覚えててくれて光栄だぜ」
 カジカが初めて彼に会ったのは遠い昔。そう、遠く遠く、分からないほどの昔。
 MZD。マスターズと呼ばれるものの一人。そして世界を作った神。
「ボクに何か?」
「視察、とでも言っておこうか。職務怠慢してないかとか思ってな」
「厳しいですね。でも、ご心配はいりませんよ」
「だろうな。その様子だと」
 職務というのは言わなくとも蝶のこと、水晶の蛹をふ化させることである。
 蝶は魂を運ぶなどと魂に例えて言われている。この蝶達がまさにそれ。
 MZD曰く、なんらかの――詳しくは蝶達すらも教えてはくれない理由で亡くなった子供の魂を運ぶのが彼ら。
 ふ化させて見送ることが輪生――実際は輪廻転生だがあえてMZDはそう呼ぶものになると。
 それを担うのがカジカと、名はまだないというもう一人のカジカ。
 彼も同じ洞窟にいるというが、カジカはまだ会ったことがなかった。
 ――ああ、だから自分は外に出れないんだ。
 MZDと会ったことで思い出されるそれらによって、カジカは改めて自分の願いは叶うはずないものだと表情を曇らせた。
 するとMZDはニッと笑う。

「外に出てみる気はないか?」

 一瞬、カジカの思考が止まった。
「…もう一回お願いしてもいいですか?」
「外に出てみる気はないかって言ったんだ」
 二度目の言葉でやっとカジカはそれを理解した。あまりにも衝撃が大きかった。
「でも…“仕事”もありますし、それにボクは外には出れないんじゃ――」
「鈍いなぁ…なんとかしてやれるから誘ってるんだろ。それともあれか、外には出たくない?」
「そんなことない! 出れるのなら出てみたいです!」
 思わず大声になった。しかし気持ちの上では半信半疑だった。それが例え、神の言葉でも。
「…でもなんで今になって…?」
「例え外界とは関係を絶っていても、蝶から聞いたことあるだろう? ポップンパーティ」
「はい。音楽のお祭りで、色んな所から色んな人が来ると…」
 するとMZDの手にはいつの間にか一枚の紙。そしてそれをカジカに差し出す。
「お前をそれに招待する」
 カジカは目をぱちくりさせる。
 また聞き間違いだろうか。なんで自分なんかが。
 色んな疑問がぐるぐる頭の中を飛び回り、動揺しているのが表情に出ていた。
「お前の歌、前から気に入ってたから。いつか招待したいって思ってたんだ」
 にししと笑うMZD。
 彼が見た目同様子供っぽく、破天荒なことをする人だというのは風の噂というか蝶の噂というかで知っていたが。
 まさかここまでとは。
「行くならチケットを受け取れ。強制はしないぜ? そうそう、その蝶も一緒でいいぜ。そうするために俺が送ったんだから」
 もうここまでくると驚くことも出来なくなった。
 しかし、気になることが一つ。
「でも、それまでの間は…」
「仕事だろ? もちろん、パーティの間もやってもらう。だが、別に洞窟でなくても出来るように準備はできてる」
 本当に無茶苦茶な人だとカジカは思うが、それは一瞬のこと。
 すぐに別の思いで胸の内が埋まる。
 そしてそれは言葉よりも先に行動に出た。
 自分でも気づかぬうちにカジカはチケットを受け取っていた。






「まぶしい…」
 照りつける太陽に思わずバイザーがあっても目を瞑ってしまう。
 これが外の世界なんだと、カジカはゆっくりと視点をいろいろな方向に向けた。
 そんなはしゃいでいるカジカに、水晶は急かすように腰の辺りに何回か当たった。
「そうだね。まずこっちでお世話になる人のうちに挨拶行かなきゃならないんだよ、ねぇあ〜」
 突然眩暈が襲ってきて語尾が変になった。
 例えMZDに太陽の光で体が燃えないようにしてもらっても、やっぱり自分はあまり外には向いていない体なのだと思い知らされる。
 倒れると思ったその時、誰かが素早く自分を支えてくれた。
「おいおい、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます〜…」
 自分を支えたその人物は自分よりも小さい少年だった。
 ただの少年ではない。枝分かれしたような形の角が二本、丸く赤い鼻をして一風変わった子。
「お前がカジカ?」
「は、はい…」
「神サマから、きっと道端で倒れるかもしれないからって迎えにきた」
「それは助かります…」
「ほら行くぞ! いくらトナカイでも地上で人引きずるのは大変なんだからな!」
 大変と言っている割には容易くカジカを引っ張っていく少年。
 目的地はすぐ近くだと。

 その後、結局カジカは熱中症で寝込んでいまい、その少年の名前がデイヴだと知ったのはパーティが始まる直前だった。

 



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あとがき
最初はSSのつもりだったのが、長くなりました。SSじゃないし(苦笑
うちのカジカはこんなやつです、みたいな作品になれたかなぁと。
ちなみに一番初め、SSだった時のの原稿は高校の作品提出用に(ぇ

2005/1/27