「じゃあ、先に帰るけど……気をつけなさいよ」
「はいはい。兄さんも寄り道しないで帰ってね」
「……今日も待ってたの?」
「……」
「あんな男のどこがいいのよ。ムラサキも物好きね」
「兄さんも人のこと言えないわよ。お店に来る度にいじめるとサトウさんが可哀想よ」
「サトウさんは別。あの子は可愛いもの。それに比べてあの男は無愛想すぎるのよ! いい、ムラサキ。アンタならいい男の一人や二人、イチコロなんだから――」
「ほらほら。ウチの心配より、お店番してる子の心配したら? 早く帰らないと可哀想よ」
「……次アイツが来たら一発殴ってやんなさい。アンタがやんないならアタシがやるから」
客もいなくなり働いてる若い子も帰して、姉――兄ハニーも自分の店に帰って、店の中が静まり返ったのは夜中の0時近くだった。
(……今日も来なかったわね)
あの人が旅に出かけてしまってからもう数日。
普段はあまりこういう店には来ない人だが、旅に出る時と帰ってきた時だけは顔を見せてくれる。
もっとも、そうさせているのは自分だったりする。
そして、ずっとそうしてくれるのはあの人の自分に対する気遣い。
そう思っているからこそムラサキはいつも待っている。
そろそろ店を閉めようと思い、カウンターから出ようとした時だった。
カランカラン、と店のドアを開ける音。
「すみません。今日は店じまいに――」
「店に来るのは久々だな」
「神様が来るなんて、珍しいこともあったもので」
店に入ってきた男――MZDを見て、ムラサキはくすりと笑った。
「六に話があってな。もしかしたらと思って寄ったんだが……アイツまだ帰ってきてないのか」
こんな別嬪を待たせて、とMZDは半ば呆れ顔だった。
そして彼はムラサキの反応を見逃さなかった。六、という言葉を聞いて普段は冷静さを保っている彼女の感情に微かに波紋が広がったのを。
「…ちょっと今から話さないか?」
意外な言葉にムラサキは目を丸くしたが、すぐにいつもの表情に戻り、じゃあ店を閉めてからと言った。
「悪いな。帰るところだったのに」
「いいえ。丁度ウチも話そうと思ってたんです。……あの人のことを」
「そういえば、初めて六をここに連れてきたのっていつ頃だったか?」
「あの人をパーティに参加させようと説得してた時ですよ」
「そうだったか?」
「ええ。お世辞にもウチの歌がうまいとか煽てて、ウチに一曲歌わせて、お前も興味あるなら出てみろよ、みたいなことを」
「アンタの記憶力には恐れ入るよ。でも、俺はお世辞は言わねぇぜ?」
まあ、とムラサキは冗談のように驚いて見せた。
「アイツさぁ、女性の前いくといっつもムッツリしてるんだぜ。いくら色恋沙汰には興味ねぇからってなぁ?」
「あの人は……女への接し方が分からないんだと思います」
ほぉ、と興味津々な様子でMZDはムラサキの言葉に耳を傾けた。
「あの人は……昔あんなことがあったから、好きとか好きじゃないとか、関心持たない――持とうとしないって言った方が合ってるかもしれない。だから女への接し方なんて考えたことないだけ」
「だから、アンタは待ってるだけなのか?」
カランとグラスの中の氷が音を立てた。
グラスの中をぼんやりと見つめて、ムサラキはふと自嘲のような笑みを浮かべる。
「ウチは神様みたいに積極的にあの人に、六に好いてもらおうとするのはやめにました。雪みたいな人だから」
「雪ねぇ……」
「雪はそれが好きで触れようとする暖かい手の上では解けて水になって自分から流れていってしまう。同じようにあの人は、ウチのように本当に冷たいものを知らないのが自分を好こうと近付くと自分から離れていってしまう」
ふぅ、とムラサキは溜息をつく。
「あの人が一緒にいられて興味を持つのは、同じかそれに近い冷たさを知ってる人だけなんです」
「想われてるねぇ、アイツも。それに気づかないなんて――」
「気づいてますよ、あの人は」
そう言われてMZDは驚いたのか目を大きく見開いた。
「気づいてるから、あの人はここに来てくれるんです。神様もお気づきでしょう? 六が優しいのは」
「そこが好きだからな」
クスクスとお互いで笑い合った。
残った酒を一気に飲み干すと、また一つ溜息。
「六に好きな人がいるならウチだって諦めがつくのに……」
「あー……ムラサキの言ってることが確かなら……近々できそうな気がする」
今度はムラサキが目を見開いた。
MZDは苦笑交じりに言う。
「この間のパーティで六の所に押し付けた奴がねぇ。今日もそのことで話そうと思ったんだが……その冷たいの持った奴に該当するかもしれねぇんだよ」
「もしかして、あの銀髪の坊や?」
「お、分かってるんだ? やっぱりアンタはすげーよ。全く、俺ももう少し早く気づけばこんなことしなかったのになぁー」
「神様、酔ってます?」
「自分のバカさ加減にな」
するとムラサキは空になっていたMZDのグラスに酒を注ぎ足した。
「ウチの奢りですから、じゃんじゃん飲んじゃってくださいな」
「悪いな。じゃあ、お互い普段のアイツのことでも愚痴る?」
今度はMZDがムラサキのに酒を注いだ。
「お付き合いさせてもらいます」
「ところで神様。六になんて言おうとしてたんです?」
「そいつがよぉー。アイツが六はいつ帰ってくるんだって俺に何回も聞いてくるからさぁー。せめて旅する回数減らせってぐちぐち言おうと思ってな。あの放浪癖が!」
「放浪癖で悪かったな」
「なっ! お前いつの間にいたんだよっ!?」
「今だ、今。神なら気づけ」
突然と店に入ってきた六にMZDは驚きを隠せないようだった。
「……おかえり、六」
「ああ……ただ――」
「お待ち」
急にムラサキが六の言葉をさえぎった。
訳が分からず、六は疑問の表情を浮かべる。
「それを言う相手はウチじゃない。でしょ?」
「……」
「もぉムラサキには全部バレバレだなーお前♪」
「……コイツ、何杯飲んでるんだ?」
呆れ顔の六にムラサキは笑った。
「悪いが――」
「神様はウチがなんとかするから」
「……これ、土産な」
そう言って六はカウンターに包みを一つ置くと、すまなそうに店から出て行った。
「神様もお人が悪い」
「別に酔ってないわけじゃないし?」
「ウチらの方がお人よしかもしれないですねぇ」
「だな」