ラーメン屋、夏海館。 “あの出来事”から二ヶ月あまりが経とうとしているが、この店は相変わらず代わり映えがなく客足もまあまあだ。あった変化と言えば店主ツイストの再婚ぐらい。 しかもここ数日、いたって何も事件がない穏やかな日が続いて、ほっとするような何か物足りないような感じで。 「出前行ってくる!」 「寄り道しないで帰ってきなさいよ!」 一人の少年が出前の箱を持って、いつも傍らにいる浅葱色の毛並みの動物ルーイと一緒に元気よく出て行った。 寄り道をするな、と言ってもこの時間帯だから絶対寄り道してくるのは分かっていた。そうなると店の中はだいぶ静かになってしまう。お昼のピーク時を過ぎたこの時間だとなおさら。 「……もう、結構経ったのよね……」 皿を片付けながら彼女――シャウトは先ほどの少年の姿を思い出す。 十歳、いやもうすぐ十一歳になる少年。 その背には辛いものを乗り越えて成長したものがある。まだ幼い彼にはあまりに辛いものが。 「……ダメダメ! こんな湿った顔しちゃ!」 自分に活を入れるようにパシッと頬を叩いた。本人はそれを乗り越えたのだから、自分が悲しんでもあまり意味はない。彼が先進することに後押ししたのは自分であるのだから。 「よしっ! 午後も頑張るわよ〜!」 張り切った声をあげた瞬間、店のドアが開かれた後がした。遅番の昼を取る為に来た客だと思い、シャウトはドアの方に振り向く。 「いらっしゃま――」 店に入ってきた人物を見て、シャウトは思わず言葉を失くした。 深緑色の長髪に、頬には赤い切り傷のような模様、紫の瞳の鋭い眼光。見慣れたその人物。 「バーディ!!」 「相変わらずだな、この店は」 彼、バーディはいつもの通りクールだった。バーディはいつもと変わらないのにシャウトがこんなにも驚いたのにはわけがある。 “あの”後、バーディは誰にも告げず――というよりもシャウトが知らないだけで――何処かへ行ってしまい、夏海館はおろかアインの研究所でも、しばらくの間ジェッターズの皆ですら会うことができなかったのだ。 「もう! だったらそう言ってくれればいいじゃない!」 「聞いてなかっただけだろう?」 ラーメンを作りながらバーディから事情を聞いて、シャウトは怒ったが本心はすごく安心していた。 バーディは彼の友、ナイトリーの怪我が治るまで彼の仕事の手伝いをしていたのである。もちろん、ナイトリーの本業は表のことから裏のことまで調べる情報屋。だからジェッター星だけには留まっていられなかったのだと。 「そういえば今日はシャウトだけなのか?」 「お父さんとお母さんは今は家の方で昼休み中よ」 お母さんとはツイスト再婚したミキのことだ。シャウトは再婚を快く認めた。だからこそ自分で積極的に彼女のことをお母さんと呼んでいる。 「仲良くやってるみたいだな」 「まぁね」 「……シロボンは?」 バーディの表情はどこか聞きにくそうだった。それを見てシャウトは彼に心配をかかせまいとしたのか明るく答えた。 「今は出前に行ってるわ。シロボンね、前より出前から帰ってくるの早くなったのよ? でも、この時間は帰ってくる時間、分からないんだけどねぇ……はい、チャーシューメンお待ちっ!」 湯気のたったラーメンを差し出されると、バーディはそうか、と呟きながら割り箸を手に取る。 ジェッター星にいる間はシャウトの家に住ませてもらっている代わりに夏海館で働いている出前に行った少年――シロボン。バーディは夏海館の常連客としてだけでなく、ジェッターズの一員としてもシロボンの成長を一番分かっている人物だ。シロボンを気にしながらも、帰ってくる時間が分からないと聞いて冷静でいられるのも、その理由を聞かずとも理解しているから。 「……変わらないっていうものいいもんだな」 「え?」 突然のバーディの言葉にシャウトはきょとんとした。 「自分も、その周りにあるものも、絶えず変わっていっちまう。この辺もそうだ。たった二ヶ月いないだけで随分変わった。新しくできた店とか覚えておかないといけないな……」 バーディは自分がまたタクシードライバーをやるからと言った。シャウトから、彼のことを分かっている人から見ればそれは自分自身に言い聞かせているように見えた。 「その分、この店やこのラーメンの味は変わっていない。……過去を振り返るわけじゃないが、全て変わっちまったら嫌だからな」 「……私も変わってないな……進歩がないっていうのよね、こういうの」 シャウトの独り言のような囁き。 それをバーディはどんな気持ちで聞いているのか、何も言わずにラーメンをすすっていた。 「シロボンね、普段の生活が戻って昼間は元気で大丈夫そうに見えたけど、実は夜に泣いてて……でもそれは本当に最初の一週間だけだったわ。今は積極的過ぎるぐらい。十一歳になるまでに私の背を抜かすんだってずっと言ってるの」 後一ヶ月じゃ絶対無理なのにね、とクスクス笑うシャウト。そしてすぐにその笑顔は曇ってしまった。 「そんなシロボンを見てると……私ってちゃんと前に進んでるかな? まだ悲しい気持ちを引きずってるのは私だけかな? ……そう考えちゃうのよ」 バーディの箸の動きが止まった。そしてバーディが何か言おうとしたのだが、先にシャウトが真剣な目つきでバーディを見た。 「バーディは……いなくなっちゃわないわよね?」 「あ?」 「もう、黙って何処かに行っちゃって、帰ってこないなんてことないわよね?」 シャウトの声は震えていた。目は少し濡れているのがはっきりとバーディには分かった。今のシャウトはいつもの強気で活発なシャウトとは何処か違う。 「……そんなことはないと思うぜ」 ふっとなだめるかのようにバーディは笑顔を見せた。 「シロボンが出前途中に寄ってるのは博士の所――いや、“ヤツ”の所だろ?」 「う、うん。シロボンがどうしても置いておいてって博士に頼んだから……」 「その行動自体がまだシロボンがアイツを……マイティを失くした気持ちを引きずってるからだろう。感じる気持ちは全然違うだろうが、俺もアイツがいなくなったことは恐らく一生引きずるかもしれない。お前だってお袋さんが亡くなったことを完全に割り切ったわけじゃないだろ? 別にいいんだよそれで。完全に過去のことを引きずらなくなった奴なんていない。その過去があるからこそ人っていうのは前に進めるんじゃないか?」 少し間を置くかのようにバーディは残りのラーメンを食べる。シャウトの様子が大分落ち着いたようで、ほっとしたのだろう。 「お前は充分変わったぜ。前まではジェッターズのリーダーとしてもままらなくて自分ことで精一杯。よく分からないが苛つきっぱないしで女っぽくなかった」 「なっ!! それってどういう意味よ!?」 突然バカにされてシャウトは顔を赤くしてバーディの隣へとズカズカと歩いてきた。 「つまり、今のお前は自分のことだけでなく周りの奴も観察できるようになったし、俺の安否を気遣えるぐらい女らしくなったからそれでいいんじゃないかって言ってるんだよ」 「えっ!」 それを聞いてシャウトは更に顔を赤くして慌て始めた。今度は恥ずかしくて。 「じ、じゃあ、答えてよ。もう、いなくならない?」 「少なくとも、お前に黙っていなくならない。いなくなったとしても必ずお前のところに帰ってきてやる」 あっさりと返された答え。 そのあっさりすぎるのと、バーディのいつものクールっぷりにシャウトはぽかーんとしてしまった。バーディはそれは心の中で面白がっていたが。 「さてと、次は博士の所に行かねえとな。他のヤツにはそこで挨拶できると思うしな。お代はここに置いておくぜ」 お前の所に一番に来てやったんだぜと言うかのようだった。しかしシャウトはまだ呆気にとられていて全く聞いていない。それをいい事に、と言った方がいいのかバーディはそっとシャウトの顔に自分の顔を近づけ―― 「っ!!?」 「ご馳走さん」 そう言って、バーディは何事もなかったかのように店から出て行った。 本当にあっさりとクールに、寧ろ大胆不敵に持っていかれてしまった。シャウトにとって宇宙一つしかないもの。 「ち、ち、ちょ、ちょっと!!? 待ちなさいよ!? 返してよ、私のファーストキス!!」 こうして、また前と同じ生活が戻ってきた。 いや、全く同じではないけれど、でもとても落ち着ける生活が。 これからは、時がのんびりと、心の傷を癒してくれる。 |